副島胃腸科内科

ソエジマイチヨウカナイカ

 

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タバコの歴史について

タバコの軌跡

近年、喫煙は「ND(ニコチン依存症)」という病気として捉えられるようになり、さまざまな喫煙関連疾患の危険因子であることも明らかになってきたことから、世界的にも禁煙の動きが広まっています。しかし、今では健康に害のあると認識されているタバコが、どうして何百年もの長い間多くの人々に愛される存在であり続けたのでしょうか。タバコのはじまりから、今日までを振り返ってみましょう。

はじまり

「タバコを吸う神」のレリーフタバコは自然界における最大の科の1つ、ナス科タバコ属に分類され、南米アンデス高地で誕生したと考えられます。アメリカ大陸で壮大な都市文明を発達させたマヤ族は、中米で早くからタバコを使用していたことが知られており、メキシコ・チアパス州のパレンケ遺跡には、「タバコを吸う神」のレリーフが刻まれています。マヤ文明が繁栄していたころ、メキシコの中央高地のアステカ族では、タバコは神事祭事の折に神々に捧げる香として、戦勝祈願や予言、占いの折の供物として、病気治療の医薬として用いられたほか、特別な場合に王侯貴族、勇敢な戦士、武装商人、老人らによって喫煙されました。

出会い

15世紀後半、中米のマヤやアステカなど「メソアメリカ」と呼ばれる地で欠かせないものとなったタバコ文化や風習は、コロンブスとの出会いによって、ヨーロッパに伝えられ、さらに世界を巡ることになりました。
黄金の国ジパングを目指して、船を西へ西へと進めたコロンブスは、スペインのパロス港を出て70日目、1492年10月12日に西インド諸島に到着しました。コロンブスは、岸辺に集まった先住民達に帽子やガラス玉を与えました。それに対し、先住民が差し出したものの中に、「香り高い乾燥した草の葉2~3枚」があったのです。これがタバコです。

伝播

16世紀の半ばごろ、ポルトガルのリスボンに駐在していたフランス公使ジャン・ニコはタバコの薬効を確信していました。彼は苗や種子をフランス宮廷に献上して、時の皇太后カトリーヌ・ド・メディシスの頭痛を嗅ぎタバコで治したと言われています。後年、タバコに含まれるアルカロイド物質は、このニコに因んで「ニコチン」と名づけられることになったそうです。
15世紀後半に始まった大航海時代の波は、ついに日本にも及ぶこととなりました。タバコも、ポルトガル人やスペイン人らの手によって、ヨーロッパからアジアの国々へ、そして日本の長崎や鹿児島へもたらされました。

刺激の文化

香辛料、コーヒー、ココア、茶、タバコなど、大航海時代の波に乗って世界中に広まった嗜好の品々には、ある共通するものがあります。それは『刺激』です。その刺激には、人間の味覚や嗅覚に対するものと、中枢神経系に対するものとがあります。コショウ、ナツメグ、チョウジなどはインドやモルッカ諸島から、トウガラシは中南米からヨーロッパにもたらされたものです。コーヒーはエチオピアからアラブの人々を経て、ココアは中米メキシコから、タバコなどとともにヨーロッパに伝わりました。茶は、鎌倉時代に中国から日本に伝わったものを、オランダの東インド会社が輸入したのが最初と言われています。昔から世界各地に存在していた酒が、中枢神経の働きを一時麻痺させるのに対し、コーヒーや茶に含まれるカフェインやニコチンは、中枢神経への軽い刺激によって、心地よい覚醒感や鎮静効果をもたらしました。同じ新大陸の「依存性」の植物でもコカは、もっぱらアンデス高地の先住民のものとのイメージから脱却できなかったのは、タバコとは対照的で興味深いことです。

万能薬

アメリカ先住民にとって、タバコにはさまざまな役割がありましたが、その中でヨーロッパ人が最も感銘を受け、理解しえたのは医薬、万能薬としての側面でした。特にペストの大流行(16世紀後半~17世紀中ごろ)などに対し、医学がそれほど有効な治療法を確立できていなかった時代は、新世界からもたらされた未知の植物であるタバコは、またたく間に万能薬に祭り上げられてしまいました。ひとたび異文化の壁を越えると、タバコは確実に浸透していきました。タバコに含まれるニコチンの依存性が、さまざまな意味で人類を虜にし、タバコの浸透を助けたと言えます。18世紀に入ってもタバコは依然として、医療目的ないしは病気の予防のためという理由に大いに支えられていました。

反タバコ

このように、世界中にタバコが広まり、受け入れられていきましたが、医学者も含めて、当初からタバコの普及に反対する者がいたことも忘れてはなりません。早くからタバコの習慣性が認識されていたこともあり、タバコは万能薬どころか身体に悪いと主張する論者もいたのです。また痰壷の使用など、喫煙の見栄えの悪さを批判する者や火災の危険から反対する者などがありました。さらに異教徒の風習として非難する向きも多く、教皇庁は聖職者のタバコの使用に対して何度も禁令を発しています。

喫煙病

19世紀後半には一種の職業病と考えられていた肺がんは、1930年代に入ると英国や米国、ドイツの学者らによって喫煙との関係が指摘されるようになり、50年代に研究が急速に進展しました。その結果、60年代前半には喫煙と肺がんの因果関係について、英米において公式な報告書が出されるに至ったのです。そして今日では、喫煙は“喫煙病(依存症+喫煙関連疾患)”という全身の病気であると認識されるようになり、治療が必要と判断されています。